The Catcher in the Rye J.D.Salinger(村上春樹訳)

キャッチャー・イン・ザ・ライ J.D.サリンジャー

あまりにも有名すぎる小説だ。
私が始めてこの小説を読んだのは確か高校生の時だったと思う。
読んでどう感じたのかよく覚えていないけど、
それ程感動したわけでもなく、ただ回転木馬のシーンだけ
なんとなく印象に残っていた。

それから数十年。
2003年に村上春樹さんの訳で再び読んだ。

読後感。
「ふーーん」
つまり高校生の時と同じく
まったく感動無しだった。

そしてまた5年後。

なんだろ。
めちゃくちゃやられました。

なんだかもうラストのほうは、なにかにぐいぐいひきずりまわされているような
印象だった。
ホールデンと一緒にNYの街を歩いて、
フィービーが雨の中、回転木馬に乗るシーンを見ながら、
あまりにもイノセントな光景に涙さえでないような感動を受けていた。

5年前に春樹さんの訳で読んでいたのに
今回再読して、自分がかなり読み違いをしていることにも気がついた。

まず、ホールデンの家。
彼がこっそり忍び込むのは、超高級マンションだ。
ちゃんとエレベーター係りがいて、彼はそこからエレベーター係りに
話しかけ家に入るのに、私はなぜかホールデンの家は
ずっと一軒家だとばかり思っていた。
それと、妹のフィービーと実際に外に出て回転木馬に乗るところ。
あそこは、ホールデンのただの空想だと思っていた。
しかもたったひとつ印象に残っていた回転木馬のシーンもなぜか
コニー・アイランドに行ったと思い込んでいて、
そこはなんというかジェット・コースターとかもある遊園地だと思いこんでいた。
安ホテルで娼婦を買うシーンもまったく失念していたし、
だいたいホールデンが最初に、病院の中にいて
そこから話していることもまったく知らなかった(!!)
なぜだか、とにかく、高校を退学させられるところから物語が
始まっていたような気がしてたのだ。


なぜだろう。
何故こんなに読み違いや、思い違いをしていたんだろう。
高校生の時からずっと読んでいなかったならまだわかるけど
5年前にちゃんと春樹さん訳を読んでいるのに。

そしてこの歳でこんなにホールデンに感情移入しちゃってていいんだろうか。
ホールデンが、傷つく皮のかばんの話も痛い程わかるし、
ぶすな女の子への同情もわかる。
彼が傷ついたり、がっかりしたり、みじめになったり
するそのひとつひとつが、ずしずしと分かる。

そして、ホールデンがどれ程、イノセントなものに憧れ、
死んでしまった弟(ああ、ここでも私はホールデンには妹しか
いないと勘違いしていた。兄までいたとは!)
アリーへの思い。

「死んでるってことはわかってるよ!僕がそれを知らないとでも
思っているのか?
それでもまだ僕はあいつのことが好きなんだ。それがいけないのかい?
誰かが死んじまったからって、それだけでそいつのことを
好きであることをやめなくちゃいけないのかい?
とくに、その死んじゃった誰かが、今生きているほかの連中より
千倍くらいいいやつだったというような場合にはさ」

ホールデンはフィービーにそういうが、
ホールデンの問題は、アリーのようにピュアでイノセントなまま
そこに立ち止まり続けるものしか愛せないことのように
思うけど。

ホールデンは、森で暮らしたいとGFのサリーに言う。
サリーはホールデンが何を言ってるのかまったく理解できない。
フィービーは、家出するホールデンと一緒にいきたいと荷物まで
持ってついてくる。
そのフィービーに<だめ>と答えるホールデン。

16歳の彼は、妹にだめといえたのに、サリンジャーは、実際の
生活の中で<だめ>を自分自身にさえ言えなかったんだろうな。

そうして、<だめ>と言われたフィービーは彼に腹をたて
泣き出す。

その後の二人の会話やシーンは本当になんていっていいのか
わからない程、美しくて悲しかった。
あまりにもすごくてなんて言い表したらいいのか
わからない。

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